心のドライビングフォース

自分の心のドライビングフォースは何だろう?
また自分以外の世の中の人々のドライビングフォースは何だろう?何かを手に入れる、仕事をやり遂げる、何でもいいんだけど、何が原動力になって動いているんだろう?
この間、何かの本を立ち読みしていて書いてあったのは「人は、人それぞれの『コンフォタブル・ゾーン』があって、それにいられるように行動する」ってことが書いてありました。コンフォタブル・ゾーンっていうのは、「自分の快適な居場所」みたいなもので、例えばテストを例にすると「テストでいい点をとること」がコンフォタブル・ゾーンの人は、試験で悪い点をとるとそれが気持ちが悪くて点数が良くなるよう勉強をするが、点数が悪いことが当たり前(コンフォタブル・ゾーン)な人は、いい点数をとっても「いい点数」は気持ちよくなく次回は勉強しなくなって元の点数に落ちてしまう、というようなことがあるそうです。
明確な目標があってそう動いているのかというとそうではなくて、自分の心の「気持ちよさ」「気持ち悪さ」が自然とそうさせているというような解説でした。
この説には結構共感するところがあるんだけど、ちょっと違うってことも感じている。
先の例では「気持ちよさ」「気持ち悪さ」の両方が働いていてバランスを取っているように書いてあるんだけど、自分としては「気持ちよさ」「気持ち悪さ」の両方で行動するのではなく、人それぞれどちらかの感情が強くリードしている気がします。もう少し言い換えると「○○が好きでそれに向かって行動する」タイプと「○○が嫌でそれから逃れるために行動する」タイプと言える。
野球やサッカー等スポーツで優勝を目指すのは「目標に向かってプラスの気持ちで向かっていく」タイプ。でも自分自身はそんなタイプには含まれない。でも今まで普通ほかの人はそこまでやらない(やれない)だろう、ということをいくつかやる遂げたことはある。
いま考え直してみると、実はそれらは「○○が嫌だから、そうならないために行動する」というパターンだった気がします。半年で20kg近いダイエットをしたこと、ひと月食費1万で過ごして2年くらいでマンションの頭金になるくらいの貯金をしたこと(今は使ってしまって無いけど)、etc…どれも逃避行動がたまたま世間から見れば前向きな行動に見えただけで、ポジティブな行動ではなかった。
嫌なことから逃れようとはするけど、今まで嫌なことが在りすぎて、少々のことは「嫌」と思わなくなりつつあるのが最近の問題かも知れない。職場で多少上司から怒られても「怒られることが嫌」でないこと、とかね。怒られても構わなくなってしまっているので、怒られないための行動をとらなくなってしまっているんですよね。
さて、これってどうにかならないものですかね?